青森県水産総合研究センター研究報告第5号(2007. 3)
Bull.Aomori Pref.Fisher.Res.Centr.,No.5:11 - 75.

北日本ヤリイカ個体群の分布回遊と
資源変動要因に関する研究*
伊藤 欣吾

キーワード:ヤリイカ,分布回遊,繁殖,漁況予測,資源変動

Studies on Migration and Causes of Stock-size Fluctuations
in the Northern Japanese Population of Spear Squid,Loligo bleekeri
Kingo ITO

Abstract: To better understand the causes of stock-size fluctuations of the spear squid population in northern Japan, its distribution and migration were examined in a tag-and-release survey, and the relationship between stock abundance and environmental conditions was examined. The population occurs from Hokkaido to the Noto Peninsula (Honshu Island) in the Sea of Japan, and from the east of the Oshima Peninsula (Hokkaido) to Iwate Prefecture (nartheast Honshu) in the Pacific. Results of mitochondrial DNA sequence analyses showed no intraspecific genetic divergence in the population,but catch analysis and the tagging studies suggest it might form a metapopulation. The population has a winter- and a spring-spawning group, and the spawning grounds are largely determined by the flow of the Tsugaru Current. Measurements made on spawning stocks during 1999-2005 showed that the mantle-length composition of males and the proportion of small males (sneakers) in the population were highly variable, whereas the sex ratio and the mantle-length composition of females varied less. The influences of water temperature and salinity on the embryonic development of eggs collected from the field were examined. The optima for development were 12.2℃ and 36.0 psu, and the lower limits for normal development were 8.3℃ and 28.0 psu. No embryos survived at temperatures below 5.2℃. Comparison of catch rates and environmental conditions showed that the migration pattern of the spawning stock is related to water temperature and currents. Models to predict catch amounts and when the seasonal catches begin were developed. Fluctuations in abundance were related to water temperature during the spawning season and the early life stage (<100 mm mantle length) of the squid. A simulation showed that the catch value and stock size of adults increased when the catch of immature squid was prohibited.

要  約

1. 本研究は,青森県で最も多く漁獲される北日本ヤリイカ個体群を資源変動解明の単位とすることの妥当性の検討を行い,その分布回遊と資源変動要因を明らかにすることを目的とした。
2. 日本周辺の地方個体群間の遺伝的差異を検証するため,新谷(1988)が便宜的に区分した4地方個体群と,青森県で漁獲される冬・春産卵グループの分布域から採集された545個体のヤリイカを用いて,mtDNAの5領域のうち変異が最も多かったNC4領域の塩基配列分析を行った。その結果,55部位で変異が確認され,48種類のハプロタイプが出現した。しかし, 平均ハプロタイプ多様度は0.67,平均塩基多様度は0.003と低く,またハ
プロタイプ頻度とFST値は海域間で有意差はなかった。これらのことから,日本周辺のヤ
リイカ地方個体群間には,遺伝的交流があると判断された。
3. ヤリイカの月別の回遊経路を調べるため,1992~1997年に津軽海峡付近で2,380個体の標識放流試験を行った。得られた92個体の再捕報告と,既往の15,663個体の標識放流データを用いて解析したところ,11~2月に津軽海峡を西進して青森県日本海海域へ産卵回遊する経路と,3~5月に新潟県から北海道の日本海を北上し,一部は津軽海峡へ産卵回遊する経路が推定された。3~5月に放流された個体は,11~2月に放流された個体に比べて,移動距離が大きく,移動速度も速かった。また,新潟県から北海道檜山支庁までは移動交流が認められた。
4. ヤリイカ漁獲変動の海域間の類似性を調べるため,島根県以北と茨城県以北の漁獲データを用いて,海域間の相関分析とクラスター分析,および漁場の推移を詳細に解析した。その結果,日本海側の秋田県~宗谷付近と太平洋側の岩手県~噴火湾の地域間では漁獲年変動に相関関係が見られた。クラスター分析では,宮城県と福島県が他の海域と別のクラスターを形成した。宮城県から茨城県までは沖合底びき網漁業によるヤリイカ漁場が連続して形成されていた。漁獲のピーク時期は,石川県沿岸(能登半島東側)以北では連動している様子が窺えるのに対して,福井県のそれは前者とは連動していなかった。
5. 標識放流と漁獲変動の地域間比較で得られた結果を基に,便宜的に区分されている4地方個体群のうち,日本海南西部個体群,北日本個体群および太平洋北部個体群の関係を検討した。太平洋側の北日本個体群と宮城県以南の太平洋北部個体群の間で,ヤリイカの生息と産卵に不適な親潮が冬―春に接岸する岩手県沿岸を境界として,回遊が南北方向に分かれ,かつ漁獲年変動に類似性が認められなかった。ただし,親潮が接岸しない年には南北への移動が不明瞭になることから,両地方個体群間での交流が示唆された。
6. また,日本海の北日本個体群と日本海南西部個体群では,能登半島を境として産卵期の移動が逆方向を示し,かつ,漁獲変動に類似性が認められなかった。しかし,両地方個体群は日本海沿岸を北上する対馬暖流の勢力範囲に分布するため,海流による幼生の北上などによる遺伝的交流が考えられた。以上のことから,能登半島以北の日本海と噴火湾から岩手県までの太平洋に分布するヤリイカ北日本個体群は,資源変動を評価するための単位として妥当と判断した。
7. 北日本個体群の産卵期は初冬から初夏までと長く,その産卵場は季節的に沿岸に沿って移動するため,その生活史を通した移動・回遊経路は複雑である。本研究では,1~2月に津軽海峡域~青森県日本海海域で産卵するグループ(冬産卵グループと称す)は,ふ化後に津軽暖流に沿って太平洋側で成長し,秋以降に再び青森県日本海海域へと産卵回遊すると推定した。しかし,主に3~6月に新潟県から北海道宗谷付近までの日本海沿岸を北上しながら産卵するグループ(春産卵グループと称す)は,主に日本海陸棚域,一部は津軽海峡―太平洋側で成長すると想定されるが,その全容は明らかにできなかった。
8. 北日本個体群の成長様式,産卵期および産卵海域を推定するため,青森県沿岸各地において,漁獲物の外套長組成と成熟状態を調べた。その結果,北日本個体群の成長様式は木下(1989)が示した成長曲線にうまく適合し,逆算した冬産卵グループのふ化日は4月中旬頃と推定された。青森県沿岸の産卵期は12~5月で,産卵海域は津軽海峡~日本海と推定した。5 0 % 成熟率の外套長は雄が193mm,雌が171mmと推定された。
9. 1998~2004年の間,青森県日本海沿岸に産卵回遊するヤリイカの生物測定を行い,産卵群の性比,外套長組成の年変化を調べ,その年変化の要因を検討した。産卵群の性比と雌の外套長組成の年変化は小さいが,雄の外套長組成と雄全体に対する小型雄(sneaker)の比率は年変化が大きかった。初期生活期~産卵回遊期の水温と外套長との間に正の相関関係が見られ,水温依存型の成長が示唆された。ただし,2001年に雄の平均外套長が極めて小さかった要因は,生息水温では説明できなかった。
10. 様々な水温と塩分の条件で卵嚢の飼育実験を行い,胚発生と孵化に最適な水温・塩分範囲を調べた。応答曲面法により,孵化率の最適条件は水温が12.2℃,塩分が36.0psuと推定された。また,胚発生が正常に進む水温下限は8.3℃,塩分下限は28.0psu,生物学的零度は5.2℃と推定された。卵嚢が発生に不適な5℃の低水温に15日間さらされると孵化率が約50%に低下し,30日間では全て死亡した。再生産の成否を考える上で,産卵場の水温と塩分のモニタリングが必要と考えられた。
11. 漁場水温については,主に未成体を漁獲する八戸沖の沖合底びき網漁場では5.2~16.2℃,産卵群を漁獲する青森県の鯵ヶ沢・大戸瀬地区では7 . 4 ~ 1 3 . 9 ℃ , 小泊地区では7 . 9 ~11.7℃,北海道松前地区では6.5~11.1℃と推定された。小泊地区における初漁日の水温と冬季の最低水温に強い相関があり,この関係式を用いることで,水温による初漁日予測が可能であった。
12. 北日本個体群の漁場の時空間変化と海洋環境との関係を調べた。その結果,産卵期~初期生活期に津軽暖流の流量が多いほど,北日本個体群のうち冬産卵グループの割合が多くなること,産卵期に水温が高いほど,春産卵グループは青森県以北に多く産卵回遊することが示された。また,資源変動に水温が関与している可能性が考えられた。
13. 冬産卵グループの漁況予測の手法を検討するため,各地の漁獲量と水温,海流データを用いて重回帰分析を行った。冬産卵グループの盛漁期12月~翌年2月の漁獲量を予測するモデルは,8~11月の漁期序盤の漁獲量との単回帰式が最も精度が高かった。また,青森県日本海海域の12月~翌年2月の漁獲量を予測するモデルは,8~11月の漁期序盤の漁獲量と,11~12月の津軽暖流の流量による,単回帰式の掛け合わせたモデルの精度が最も高かった。また,青森県太平洋沖において,10月後半に着底トロールにより未成体の分布調査を行うことで,早期の予測が可能と考えられた。
14. 北日本個体群の資源変動要因を検討した結果,1984~1986年の冬季の低水温が資源変動に影響を及ぼしたと考えられた。しかし,その他の年に関しては,水温とは別の要因が働いていると考えられた。
15. ヤリイカ資源の有効利用を検討した結果,青森県太平洋側で成長乱獲の可能性が考えられ,その海域で単価の安い未成体を禁漁することによって,産卵個体数と漁獲金額が増加する試算結果が得られた。
16. 本研究では,ヤリイカ北日本個体群を資源変動の単位と定義し,分布・回遊と海洋環境との関係を検討した。その結果,水温と津軽暖流の流量の変化に応答して移動・分散することを明らかにすることができた。また,この関係に基づいて,冬産卵グループの漁獲量の予測が可能となった。しかし,春産卵グループについては,その不足する生活史,回遊経路などの知見を蓄積して,資源と漁獲変動を予測できる手法の開発へと展開する必要がある。