タラ目
チゴダラ科
チゴダラ
分類が混乱しており、エゾイソアイナメとチゴダラの異同が未だに解決していない問題の種である。ここではチゴダラとしておく。本県ではドンコと称されており、底曳、底建網、刺網等で漁獲される。全長40cmあまりの白身の淡泊な魚で、好んで味噌汁の具とされる。下北では串刺しにしたものを囲炉裏であぶって焼いて食べるが、串の立て方が普通の魚と違って、口を上に向け、焼く時出る脂を落とさないで食べる。これを、ドンコの逆さ焼と称し、脂を淡泊な身に沁み込ませて味をよくする生活の知恵である。今では囲炉裏がなくなり、こういう風景も見られなくなった。典型的な夜行性の魚で、昼間は岩陰に隠れているが、夜に活動する。
イトヒキダラ
太平洋深海底曳調査で売り物になったチゴダラ科の魚は前種と本種のみであった。こちらは全長60cmあまりの大型魚であるが練製品に用いられる位で安価なものであった。
地方名:トウジン、バケダラ(八戸)
タラ科
マダラ
マダラは学名でも大頭の意味であるが、江戸時代の呼び名は大口魚であった。
マダラというと何と言っても陸奥湾の鱈が昔から重宝されてきたものである。
マダラは日本海、太平洋沿岸でも漁獲されるものであるが、何故陸奥湾産が世上にもてはやされるのか。それは、簡単なことである。マダラの漁期は陸奥湾では昔から冬至10日前に網入れし、節分(2月3日)までのおよそ50日間といわれており、以降は産卵後の棒タラを延縄で漁獲したものである。
即ち、正月用の魚として間に合うわけで、外海ではその漁期が遅く年明けの1-2月にず
れこむのである。陸奥湾が気候の影響を強く受ける内湾であることにより、外海よりも早く水温が下がり、そのため来遊が早いのである。
陸奥湾にマダラの産卵群の走りが見られる時の表面水温は概ね12℃とされる。その昔、津軽藩と南部藩が反目し合っていた頃のこと。津軽藩では上磯(平舘、蟹田)の漁業者が開発した焼山沖の深い漁場で漁獲した。1番鱈は蟹田に命じた。南部藩では脇野沢の漁師に褒美を出して初鱈を確保し江戸表まで夜通しかけて届けたという。いずれも、産卵前のものであるので、餌につかないことから刺網で獲ったものである。
その勝負はどうであったかというと、回帰する魚道の先端に優秀な漁場を開発していた蟹田石浜の漁師の漁撈技術が上であり又、交通の便の良かった津軽藩の方に軍配が上がった様である。津軽藩の鱈の評判は良く、延宝3年(1675)鱈5本を
届けたのを皮切りに年々数を増し、最も多く献上した宝栄5年(1702)には163本とある。
将軍家へ5本、各大名、御老中へ133本、津 軽藩邸へ20本とある。荷姿は口から刃物を刺し込んで鰓、内臓を抜き取った上に、口から塩5升を詰め込み、笹を敷いて丁重に箱詰めとし、役人が早馬で送っている。当時、通常の献上品は江戸表まで30日程かけているが、これでは鮮度に問題があったものか、元禄元年には早馬に切り替え、12乃至16日で届ける様になったという。武家階級には腹を割かない所が大いに受けたという。
戦後間もなくまで大豊漁が続いたが、昭和22年を境に大不漁時代が30年も続き、昭和50年代後半から又漁が見られる様になった。しかし、昭和63年に約2千トンと戦後の不漁時代以降の最高漁獲を挙げてからは資源が激減し数年前からは100トン前後の大不漁が続い ている。マイワシのところで触れたが、マダラとマイワシの資源の変動はピタリと一致している。地球環境の温暖化と大いに関係がありそうである。
しかし、日本海、太平洋のものは陸奥湾に回帰してくる群とは異なり近年資源が上向きにある。この辺が難しい所である。
陸奥湾に回帰する群の移動経路については底建網で漁獲されたものの内、元気の良いものを選んで標識をつけて放流したのち、再捕されたものの記録から大体のことが明らかにされている。
多くは北海道恵山から根室、花咲に至る道東までの海域で再捕されており、1部北海道日本海で再捕されている。このことから、陸奥湾回帰群と道南・道東で漁獲されるものが陸奥湾を起源とした同じ資源であり、サケ同様先獲り問題が浮上し、北海道側との間に同一資源の有効利用ということで資源管理を進めていく方向で検討されている。 北海道恵山町管内では延縄漁法で漁獲しており、2Kg未満の小型個体が殆どであり、資源保護の観点から問題視されているのである。
鱈の産卵場は陸奥湾の他、日本海では岩崎沖、太平洋では階上沖にあり、それぞれ底建網、刺網で完熟卵を持ったものが漁獲される。
昔は発達した卵巣を持った雌(子ダラ)が高かったが、何時の頃からか精巣(白子、キク、タツ)が高値を呼ぶ様になり雄(並鱈、白)が高くなった。精力増進用としてモテモテのようである。
下北の鱈には雌ダラの卵が流れ出ないようにナバリと称する長さ10cm程のヒバの薄板に返しをつけて作った木片を刺し込む習慣がある。これは江戸の昔から、その形態が変わっていない。
鱈漁で忘れてならないのは、鱈底建網漁法のことである。鱈底建網漁法は明治末年平舘と蟹田の漁業者が協力して開発した漁法とされており、本県人が開発した唯一の漁法として記憶されるべきものである。関係した人として平舘の前田清吉、木村仁佐、蟹田塩越の小川甚作氏の名がある。カレイの夜曳網が岩に引っかかり、そのままにしておいた翌朝の観察からカレイ類が袖網を伝って袋網にたまっていることをヒントに箱形の現在の底建網の原形が構想されたという。
当初の網は障子網だけの箱網であったが、その後、奥に漏斗の落し網を付けた2段式に改良された。当時、網資材は麻網と藁綱で、船は帆を付けた櫓櫂のものであり、動力は手巻のロクロしかなかった。このような装備で、時化の多い寒の最中に、遠く対岸の焼山沖の深い漁場に網を敷設した苦労は並大抵のものではなかったであろう。この漁場・漁法の開発、共に上磯漁業者の先進的な性格がもたらしたもので、下北の漁業者はその後塵を拝するのみであった。
それが、皮肉にも戦後の新漁業法の改正で、蟹田、平舘の漁業者は先祖開発の千石場所を締め出され、佐井、脇野沢に譲ったのである。
地方名:タラ(一般)、バクダン(鰺ケ沢)、ボウダラ(一般)、並タラ、白タラ(雄、下北)、子タラ(雌、下北)

写真
鱈底建網大豊漁の懸額
蟹田町塩越神社蔵
昭和3年旧11月10日の大漁.漁場は佐井村焼山沖の千石場所 乗組員9名・帆走・巻揚げロクロに注目
スケトウダラ
一般にスケソウ(助宗)と呼称されるが、正しくはスケトウ(佐渡)である。江戸の昔、日本海では佐渡島周辺が本種の本場であり、佐渡の佐の訓読みが「すけ」であることから来たといわれる。
昭和30年代以降、北転船による北洋漁業華やかなりし頃のサケマス流網漁業と並び称される花形漁業であった母船式底曳網漁業等により大量に本種の水揚げがあり、昭和47年には最高300万トンにも達した。
しかし、その初期には商品価値の高い卵巣をとった残りのガラ(殻)の利用法はせいぜい低級水練製品の原料か魚粕程度のもので経済価値がなく、新たな利用法の開発が問題となっていた。丁度その頃には以西もののグチ、ハモ、エソといった高級練製品原料の漁獲減から原料の高騰を呼び廉価な代替原料の開発が強く求められていた。こうした中、北海道ではありあまるスケトウダラを何とかしなければと道水試が中心となって道の蒲鉾業界・中央の大手水産会社等の支援を受けて昭和30年頃から研究に着手したのである。
苦労の末、昭和30年代半ばに北海道立中央水産試験場の工科研究室西谷喬助科長等が無塩冷凍すり身の技術開発に成功し、西谷名で昭和35年特許出願がなされ、同38年5月遂に 特許登録がなされた。同年12月には道知事に特許権の名義移転登録がなされた。
この技術の骨子は水晒しによって水溶性蛋白を除去することと、冷凍する前に糖を添加して蛋白質の冷凍変性を防止することにあった。従来の製法では本種の魚肉は冷凍保存して解凍するとスポンジ状になり弾力が失われて使い物にならないというのが一般の評価であったのである。
民間における冷凍すり身生産の本格化は昭和41年以降のことであった。西谷等の技術開発と時を同じくして京都大学池内等は加塩すり身製法を独自に開発したが、現在でも西谷等の無塩すり身製法が優位に立っており伝統的に用いられている。
この技術は洋上ですり身加工する母船式漁業へと大きく発展したのである。最盛期の昭和40年代末以降の国内における冷凍すり身の最大生産量は41万トンにも達し、その殆どはスケトウダラが原料となっていた。北洋を締め出された現在ではアメリカ、ロシア、韓国からの輸入ものに大きく依存している。現在、スケトウダラの冷凍すり身は水産練製品原料としてなくてはならないものものとなっている(竹谷編,1968; 新井・山本,1986)。
最近の国内ものは、すり身原料としてよりも、厳寒期に漁獲されたもののタラコ(卵巣卵)が辛子明太子の原料として価値を増している。
本県では専ら太平洋沖合の底曳漁業による漁獲が主体であるが、最近小泊沖合での刺網漁で産卵期のものを対象に漁獲されるようになった。
稚魚期から幼魚にかけては日本海生れのものが陸奥湾に入り込み、マダラ幼魚と混在する年がある。しかし、本来は本種の最も近い最大の産卵場は噴火湾である。マダラよりも遥かに冷水性が強く、卵はマダラの沈性卵と異なり浮遊卵である。
ソコダラ科
ヒモダラ
本科魚類は太平洋深海底曳で8種程の漁獲があったが、この仲間は尾部が糸状に長くなっており、可食部分が少なく殆ど頭と胴体だけのようなものである。全長1mを越すムネダラなどまるで死体が揚がったような錯覚にとらわれあまり良い気持ちがしなかった。その中で市場価値のあるのが本種程度であった。それにしても、深海魚というのは水分含量が高く、加工には不向きな肉質で混ぜ物としての価値しかないものが多い。

写真 ヒモダラ.
太平洋深海底曵.本科魚類は種類が多いが有用種は少ない.
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